go 55 go

備忘録;母の役割もそろそろ終盤。55歳になるこれからの毎日のできごとを記録しておこうと思う。

2024-3-16 バトンタッチ後はご祝儀にしました

長男のお誕生日だったので、お祝いをどうするかちょっと悩んだ末、パートナーと2人でちょっとごちそうを食べられるくらいのご祝儀を贈りました。


このたびは、長男が家を出て初めてのお誕生日だったので、当日は休みのシフトだったうちから徒歩5分の長男の職場に、前日にご祝儀を届けました。


久しぶりに焼いたカップケーキをいくつかと、家に残っていた、長男の小さな兜のお飾りも一緒に届けました。


 


長男が生まれた時、それまでのダントツ1番大好きな夫への気持ちとは比べ物にならない、強くて大きな揺るぎない愛情が湧きあがって、こんなにかわいく愛しいかけがえのない存在があると初めて知りました。
そんなことはありえないとわかっていても、世の中の全ての人に愛される、尊重される、そう思ってくれる人たちに囲まれて生きていける、そういう人になってほしいと思いました。今も変わらず思っています。


がみがみやかましく怒るしぺちっとはたくし、よそさまから見たらそんな風に思っているとは思えない、怖くて厳しすぎるお母さんだったと自覚しています。あんなにすることなかったのかもなと振り返るのですが、例えばもう1回やり直せてもたぶん、同じようにしかできないのではないかとも思います。


日本で生まれて、2歳3ヶ月でこちらに移り住んでからは、がみがみな怖いお母さんがワンオペで育児していた記憶しかない家庭で、外に出れば訳のわからない言葉の環境で、ずいぶん大変な思いをしたと思います。
大きくなってからも、両親は明らかにここで教育を受けた自分より英語ができないしね、頼りにできないことも多くて心細い思いをさせたと思います。


それでも、夫は夫なりに、私は私で私の精一杯で、幸せに生きていけるだろうと思うことを伝えてきたつもり。


俺様気質でこだわりが強くて、聖人君子に育ったとはとても言えないけど、生涯のパートナーに巡り会ってくれたのでひとまず安心。


私はこれからの長男の幸せにはあまり影響しなくなるのかもしれないけど、それはそれで私にもきっと幸せなのだろうし、長男には遠慮なくますます幸せになってもらって、それが続くようにと思っています。